氏は現在パーキンソン病を患いながらも、精力的に執筆活動を続けている
という。地元イギリスでは、氏の芝居を盛んに上演しているらしい。
日本の菊次郎さんはじめ、「高齢にして意気衰えず」の人々はどの地にも
いるもんだね。
一昔前は日本でも取り上げられることの多かったウェスカーだが、
この頃は余りお目にかからない。2005年にシアター・コクーンで蜷川演出の
「キッチン(調理場)」を観たのが最後。3部作に至っては学生時代俳優座で
観て以来ご無沙汰だが、今春地人会が「根っこ」を上演するそうだ。
初演は1959年。58年の「大麦入りのチキンスープ」、60年の「僕はエルサレムの
ことを話しているんだ」とともに、ウェスカー3部作と呼ばれている。
この戯曲の主人公ビーティは、他の2部作でキーパーソンとして登場し、
「調理場」の主人公でもあるロニーの恋人である。彼女は片田舎からロンドンに
出てきてウエートレスをしている22歳の女性で、「調理場」でコックをしていた
ロニーと知り合う。都会的で物知りなロニーにビーティは首ったけ。
自慢の彼氏を田舎の家族に紹介するために一足早く帰郷したところだ。
相も変わらず生活の愚痴を垂れ流し、他人の噂話に興じ、つまらないことで
諍いを繰り返している親族たちにビーティはうんざりする。
ねえ、きいて!ロニーはこう言うのよ。
“いいか、話すってことは、言葉を使うことだよ、ちょうど橋と同じだよ。
人間は橋を渡って或る場所から或る場所へ安全に渡ることができる。沢山
橋を知っていればいる程、それだけいろんなところへ行けるじゃないか!”
聞こえてくるのは母親が好きだというお定まりの恋の歌。ニュースも
すぐ切っちゃうし、おまけにこの家には本が一冊もない。ビーティはビゼーの
アルルの女組曲のレコードをかける。
いい?お母さん、あの人は私にこんな風に言うの。
“さあ、聴くんだ、音楽を君自身のなかに起こすんだ、そうすりゃこの音楽と
同じくらい君は偉大になる”
それからね、こんな風にも言ってた。
“社会主義っていうのは、年中喋っていることじゃない、生活する事なんだ、
歌う事なんだ、踊る事なんだ、身の回りにあることに関心を持つ事なんだ、
だから誰とでも結びつきがある。この世界全体と結びついている事なんだ”
そしてね、ロニーはこう言うのよ。
“人の意見をよく聴かなくてはいけない。ただ反対しているだけでは駄目だ。
考えなければいけない。でないと沈滞し、腐敗し、その腐敗は広がる一方だ”
ビーティの話すロニーの言葉は、親族たちにはチンプンカンプン。
戸惑い呆れ果てているところに届けられた一通の手紙。ロニーからだ!
“新しい人生を作りだそうなんて、結局は無意味なんだ。世界を作り上げる
なんてとてもできない、とても駄目だ─”すぐには理解できない親族たち。
親族全員集まってこんなに一生懸命歓迎の準備したのに、結局何かい?
そいつは来ないのかい?
どういうわけか説明しろと母親に迫られてビーティは言う。
“駄目だ、話せないわ─(略)─農民の家に生まれていながら、
私には根っこがないのよ。町の人たちと同じ─あの無意味な群衆と同じ”
それからビーティはは徐々に自分の言葉で語り始める。根っこって何?
彼女は義姉のパールに言う。
“あんたが生きているってことを示すような事を本当に言ったり、したりしたか
ってことなのよ─(略)─スージィったらねこう言うのよ、原子爆弾が落っこって
きて死んだって私別にかまわないわ、って。何故彼女がそんなこと言うか分かる?
もしかまわなくないとしたら彼女は何かをしなくちゃならない、ところがそれは
大変な努力がいる事だから彼女はそんなことで悩みたくない─もうそんなこと
つくづくいやになっちゃってるのよ。私たちだって同じこと─皆もういやに
なっちゃってるのよ”
“私たちラジオを聞いたり、テレビをみたり、映画にも行く─甘い恋物語とか
ギャングものならね─でもそれは一番安易な逃げ道じゃないかしら?何も努力
しないでできる─教養を積むってことは、いつも疑問を持って質問を繰り返す
ことよ、絶えず。何百万人の人がいる、この国中に誰一人質問をする人がいない。
皆一番楽な逃げ道を探してしまうのよ─(略)─私たち何に対してももう戦うって
ことをしない。私たちってまるで死人みたいに精神的にだらけきっちゃってるのね!”
“この国の才能ある人たちが仕事する時─(作家も画家も作曲家も)─誰も私たちが
理解できるようになんて考えてやしない─(略)─私たちにつき合ってくれるのは、
安物の流行歌手や薄手な三文小説家、映画企業家に婦人雑誌、週刊誌に裸の写真入りの
実話雑誌─そんなものよ。彼らは言ってるわ、労働者は小金を持っている、奴らの
欲しがるものを与えりゃいい。奴らがくだらない流行歌や映画スターをお望みなら
いくらでもくれてやれ。難しい言葉が肌にあわないってんなら、簡単な言葉で
間に合わせてやれ。三流品がいいてんなら、それでいいじゃないか!─(略)─
こういうあくどい商業主義に私たち毒されちゃってる、なのに全然それに気づかない。
そう、ロニーの言う通りだわ─これは私たち自身が悪いのよ、私たちの責任よ。
私たちは三流品を欲しがってる─そうよ!そうなのよ!そう!私たちって…”
今やビーティは、ロニーの受け売りではなく自分の言葉で話始めている。
“ねえ、誰かきいてよ。よかった、ロニー!やっと分かった、今やっと分かったわ、
初めて分かった、今始まったのよ、自分の足ではっきり歩き出せた─私初めて
自分で息をし始めたのよ…”
誰がどう言おうとやっぱりウェスカーは偉大だ!
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