涙ぐましい努力を続けているようだ…なんて
他人ごとのように言ってるけど、かくいう私も喫煙者。
近頃とみに排斥されている人種ではあるが、
これ、何を隠そう(別に隠しちゃいないが)「嗜癖(シヘキ)」の一つ。
「嗜癖」って難しい言葉だけど、要するに「依存症」だ。
「依存症」とは、依存が症状として定着しちゃった状態。
抜け出すのはなかなか難しい。
しかし依存症は喫煙だけじゃない。
アルコールもあれば、カフェイン、糖分、麻薬までさまざまある。
これは、物質依存と呼ばれるものだが、この他に行為依存や対人関係依存もある。
アメリカのカウンセラーKatherine Degenhardtは、「日常生活に潜む依存症」
として、以下のようなものを列挙している。
<アルコール、読書、カフェイン、世話焼き、追跡、チョコレート、
慢性疾患、宗教、掃除、ダイエット、運動(ジム通い)、嘘、コンピュータ
(インターネット)、コントロール、クレジットカード、白日夢・空想、
いたずら書き、薬物、心理的虐待、女性(男性)依存、ギャンブル、ガレージセール
(フリーマーケット)、欲張り、恋愛、お金、音楽、ニコチン、過食、痛み、
身体的虐待、ポルノグラフィ、力、処方薬、ラジオ、自己憐憫、セックス、性的虐待、
万引き、買い物、睡眠、メロドラマ、スポーツ、砂糖、支援団体(ボランティア)、
お喋り、電話(メール)、テレビ、ビデオゲーム(ネットゲーム)、暴力、仕事、
研究集会>
─Katherine Degenhardt's Workbook;“Breakinng Family Addictions”(1993)より
※()内は私が「今なら…」を補足したもの
なんとまあ、随分沢山あるもんだねえ!
この他にもスピード、芸能人、アニメ、ファッション、化粧など挙げればきりがない。
誰だって一つや二つは身に覚えがあるんじゃないかな。
因みに私は、ニコチン以外では読書、それにカフェインくらい。
以前は恋愛とか運動、男(父性)依存とか大変なのもあったけど、今はもう卒業した。
これらは、身体的社会的ダメージの軽重はあるにせよ、どれも元を辿っていけば
根っこは同じ。どうしても埋められない深い深い心の穴に行き着く。
嗜癖とは、その穴を何とか埋めようとする空しい試みが習慣化して、
どうにも抜け出せなくなってしまったものなんである。
それじゃあ、その穴はいかにしてできたのか。
そこにはやはり「愛着」の問題がしつこく絡み付くのである。
幼い頃に満たされなかった愛。求めても求めても手に入らなかった愛。
今もなお無意識深く潜んでいるそれに対する激しい欲求。
ここを見ずしては嗜癖問題からの解決はないのである。
※これについてはこちらやこちらを参照されたい。
もとより人間というのはそれほど完璧にはできていないのだから、
誰しもが多かれ少なかれ「愛着」の問題は抱えていると言っていい。
それは誰しもが「脚本」を持っているということとほぼ同義である。
誰もが一つや二つの嗜癖はもっているというのもそれ故である。
まるで歪みのない人間などまずいないのである。
であるからして、嗜癖から抜け出すためには、この根っこを
掘り返さなくちゃならないのである。そしてそれを何かで埋めなきゃ
ならないのである。而してここに大きな落とし穴がある。
「嗜癖」というのは、一つを取り去れば自ずと代替の嗜癖が出てくる
ということである。そしてそれは通常、取り去った嗜癖よりも
刺激が大きくなるということである。
現在、私はある性嗜癖のケースに取り組んでいる。
それは、アルコール→薬物(睡眠薬)→麻薬→窃視症(覗き)→強姦と
嗜癖が進んだケースである。このケースでは、Clは途中で麻薬を
断つことに成功しているが、その薬物嗜癖が「覗き」という性嗜癖に
よって代替され、それが進むにつれてより大きな刺激を求め、
強姦にまで至ったものである。
かくなるように、嗜癖というのは厄介なものである。
癌を手術で除去してもしつこく再発するように、嗜癖も再発するのである。
臓器ごと根こそぎにすれば命にかかわるようなこともある。
重症であればあるほど、しっかりとした治療プログラムが必要なのである。
そこでmocoちゃん、焦らないで!
このブログでmocoちゃんの感じている不可解な気持ちって、
大事なものだと思うよ。
もう少ししっかり見つめ直してもいいんじゃないかな。
今のままで禁煙を焦って新たな嗜癖に嵌っては元も子もない。
私は自分が癌体質ならぬ「嗜癖体質」だと分かっているので、
長い時間をかけて改善するしかないと思っている。自分を見つめ、
掘り返しするうちに若い頃は沢山あった嗜癖も今は数種に落ち着いたし、
喫煙も読書もさほど度を超さぬところまでコントロールできればいいか、
という気になっている。
mocoちゃん、また、機会があればその辺りを話し合いたいね、是非!
↑ブログを読んだらクリックしてね!
なんだかんだで出来ていません。
私もこの不可解なものがあるかぎり
禁煙喫煙を繰り返してしまうと思うからです。
ただ気づいてはいても、なかなかこれに触れられずいるところです。
ふれようとするたびに悲しい気持ちになります。
触れようとしただけでこんな気持ちに
なるのに・・・掘り起こす事が怖いです。
「禁煙」という行為で、自分の心の奥底にある「不可解なもの」を探り当ててしまった。
見たいけど見たくない…。
まさに引き裂かれるような感じですよね。
でも、探り当てたその感覚を大事に、ゆっくりでいいから自分を育てていこうよ。
また話しに来てください。