2012年11月13日


男N <男Nのニートからの旅立ち>

主体的行動の具体的一例

デプロメールという薬が増えたり、
朝ウォーキングを始めたり、
いろいろと試みていますが調子はいまだにイマイチです。

 主体性は何処?
 主体性はどうすれば生まれるの?

イマイチなんですが、日々の生活を改めて見つめ直すと、
意外と、主体性、あります。

例えば、洗いもの。
食後の食器洗いですね。
僕はひとり暮らし歴が長いですし、
自炊の経験も過去に何度もあるのですが、
いずれも長続きしませんでした。
理由はいずれも「メンドクサイ」とかなんですが。

そうして、
途絶えた自炊のあとに残されるもの、
それは、
洗いもの。

食器がカビて白くなったり緑になったり茶色になったりして、
もはや洗う気すら失せてしまい、
「捨てなきゃ」と思いながらそのまま放置され、
1〜2年に1回、気まぐれにやってくる「主体性の波」によって処分される、
そんなことの繰り返しだった過去の自分・・・

たぶん、過去形になったんじゃないかな・・・
たぶん・・・

食事は現在進行形で喜びを感じられる最たるものだと思っていますが、
それが終われば、その食事は「過去」になり、
次の食事という「未来」に向け、
洗いものという「現在」を生きる、
とかなんとか書くとおおげさではありますが、

その洗いものを「〜すべき」ではなく「〜したい」からする、
そんな心身の状態が今年に入ってからずっと維持されている、
そんな自分に対して「よくやってるジャン」って言ってあげたくなる、
そんな四十路男の小さな成長のお話でした。



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posted by CSNメンバー at 23:59 | Comment(11) | TrackBack(0)
この記事へのコメント
私も、若かりし頃の一人暮らしの時に、
色々な食物が緑色に変化し、捨てるのも嫌な状態になった事があります。
特にお茶の葉は急須のふたを押し上げ、
急須の高さの3倍ぐらいになっていました。


話、変わりますが
ゴルフスィングで悩んでいます。

悩んだあげく、レッスンを受けていますが、
レッスン中はそのスィングが出来るのですが、
自分で行うと、出来なくなっている。
何かが微妙に違うから出来ないのですが、
原因が解るまでもやもやしながら、考えて練習をする。

何故、教わったスィングをしたいのかというと、
ボールに当たった感触が気持ちがいいのと、
まっすぐ良く飛ぶからです。

根本的な原因は、レッスン中は先生が見ているので、
その都度修正が入り、脳から出た指示通りに
筋肉が動いてくれる(これが筋肉の短期記憶)
これをその通りに反復して出来れば、
筋肉が動きを覚えて長期記憶になり、
スィングが完成していきます。


この事を、「皿洗いの法則」に置き換えると

洗わない→凄い事になる→「不快」
洗う→綺麗になる→「快感」

そして、短期記憶から長期記憶にと身体が覚えてしまい、意識せずとも勝手に行うようになる。


この法則は、とてもシンプルで、他の事に応用できる法則だと思いますよ。

応用してみては?
Posted by T社長 at 2012年11月14日 16:40
コメントありがとうございます。嬉しいです。

短期記憶と長期記憶、とてもわかりやすいです。
僕が自炊や洗いものを続けられているのは、
まさに快感の短期記憶が長期記憶に変わった(たぶん)からだと思います。
自炊が楽しいから洗いものが楽しい、
洗いものが楽しいから自炊が楽しい、
その継続する楽しさ体験の繰り返しが、まさに身に付いたのではないかと。

今は日常生活を苦痛ではなく楽しさで満たすべく、
小さな快感体験(成功体験)を探している真っ最中なのだと思っています。
個人的なことだけでなく社会的なことでもチャレンジしたいのですが、
それだけのエネルギーが少し足りない感じがするので、
まずは足元を固めるというイメージでやっています。

足元が固まれば自然と歩み進められるのではないかという予感があります。
Posted by 男N at 2012年11月14日 23:21
エネルギー・・確かにそうですね。

自身の中から、湧き出てくるエネルギー
が無かったら、現在の弱肉強食の厳しい
現実社会では歩く事が難しいですね。

私ごとですが、16歳の高校1年生の夏に
学校をやめることを決断した時、
「自分の事は、自分で決める!」
「俺は何でもできる!これからは自由だ!」
「やっと親から離れられる」と思い、
7月からアルバイトをしていた
美容室に就職しました。

2週間が経過した頃、
「何で学校辞めちゃったんだろう・・
毎日辛いな〜」と思いました。

理由は、1日中(10時間)立ちっぱなしだったからです。

見習いで入ったから最初は仕事もなく、
ただ単に仕事を見ているだけです。
そして、営業終了後に2時間練習をして
仕事を覚える。
今まで10時間たちっぱなしで、
その後に2時間練習をするなんて事は、
した事がないわけですから、
辛いのは当たり前です。

当時の給料は、5万8千円、休日は週1日です。
大卒初任給が10万8千円の頃の話です。

それでも、続けられたのは親への反抗心と
学校の勉強が嫌いだったのと、仕事が好きだったからだと思います。

以来、34年間社会で働いてきて、
16歳で決断をして、始めの一歩を
踏み出し、すぐ後悔した事を含め
自分で自分を褒めることが出来ます。

本題に戻りまして・・・

人によりエネルギーの元になるものは
違うとおもいます。
私の場合は、反攻心でした。
・・・続く・・






Posted by T社長 at 2012年11月15日 13:04
続きです・・・
「フェイスブック・セミナー」から
帰ってきました。

ドライバーでしたっけ?あの、ゴルフ道具じゃないほう・・・以前テストした時に
強烈な奴が3つありました。
(生きてはいけない)とか言うやつです。

その通りに、15歳ぐらいから17歳位
までの3年間は、「いつ、死んでも良い」と
思い、無茶な生活をしていました。
6年ぐらい前に、当時の先輩と逢う
機会があり、昔話になった時に、
「お前、無茶苦茶だったけど、
仕事だけはしていたよな〜」と、
しみじみ言われ、
「確かにそうだったな〜」と・・・

今、考えても不思議です。

友人がたむろするアパートに泊まり、
体内に取り込んではいけない、
毒物や劇物で正常な判断が出来ない
状態の中、朝になれば一人バイクに乗り
仕事に向かう。
そして、終わればそこに戻り、
又、同じ事を繰り返す。

先輩や友人を含め、仕事を続けられる奴が、
一人もいない中、自分は自分だと思って
マイウェイでした。

そう考えると、周りの友人たちは
エネルギーはあったけど、体内に取り込んでは
いけない物の弊害で、社会活動が
出来なくなったのかな〜?
それとも、エネルギーが無かったのかな?

でも、その当時の先輩や友人も現在は、
働いています。(塀の中も多少いますが)

総括すると、
「自分の人生は、自分で責任を持つ」
という事が、主体性の始まりなのでは
ないでしょうか?

そこには、
「親でもなく、国でもなく、社会体制でもない、屹立した自分自信しかいない」

そして、自分自信を作り上げ、
人類社会に貢献していくという
事ではないでしょうか。

Posted by T社長 at 2012年11月15日 18:07
いやはや、なんとも、
T社長の過去まで語っていただいて、
本当に嬉しい限りです。


反抗心から学校をドロップアウトできる人を、
僕は密かに羨ましく思っていました。
僕にはそんな勇気や決断力や行動力がありませんでしたから。

誤解されやすいのですが、実は僕も学校は大嫌いでした。
大嫌いなのにやめなかったのは・・・怖かったからです。
大人たちの価値観に従う「フリ」をしながら、
大学卒業直前まで通い続けました。

そうして、一般的な考えでは就職するのが当たり前の段になって初めて、
自分は実は就職したくないのだ、ということに気づき、
就職することがとてつもなく怖いことのように感じられ、
かといって別の選択肢も見当たらず、
そのまま・・・ずるずると・・・今に至ります。

冗談ではなく本当に、今に至っています。
決断していないからなんですね。


・・・本題は何でしたっけ?(笑)


「主体性」と「エネルギー」ですね。
昨年の今くらいに、自分ももうすぐ40歳なんだなあと思い、
自分の人生を振り返って主体的にしたことはなんだろうと考え、
ほとんど主体的にしないまま40年生きてきたことに愕然とし、
せめて40歳からは主体的に生きようと思い、
自分の過去の主体的であった時代(10歳くらいまで)を思い返し、
そうして再発見したのが「やりたいことをやる」という原則のようなものです。

当たり前のことのようですが、僕にとっては当たり前ではなかったことです。

僕がやりたいことは何か、
探してみると案外近くにあることばかりで、
部屋を快適にしたいとか、食べたいものを好きなだけ食べたいとか。
なので炊事、洗濯、掃除に主体的に取り組み始めました。
身体を動かしたいのでウォーキングを始めました。
お金にならなくてもいいから人の役に立ちたい、人に認められたい、
なのでCSNに主体的に関わるようになりました。

そんな感じで「自己改革」に取り組み始めてから1年、
続けられていることもあれば続けにくくなっているものもあります。
主体的行動のためのエネルギーが尽きてしまっては元も子もないので、
日々の行動を少し見直して修正しているのが「今」です。

中目黒でお会いしたときと直近にラベンダーでお会いしたときとでは
僕の印象が違っているのではないかと思います。
もう一度中目黒の男N、そしてそれ以上の男Nをお見せできればと思います。


僕も長く語ってしまいました(笑)
まあ主体的に長いコメントならばOKですね。
Posted by 男N at 2012年11月16日 09:36
そうですね。大分変化の兆候は見られますね。
とは言っても、このように人を評価
するような言葉事態に違和感を覚えます。
多分、元々YOUR OKだから、違和感が
あるのでしょう。

何点か誤解されているようなので、
コメントをしますね。

私は、ドロップアウトはしていません。
美容師になると決めたので、「卒業」したのです。ドロップアウトは世間の価値観。
卒業は自分の価値観です。

そして、学校は好きでした。
学校の勉強が嫌いだったのです。
暗記するばかりで、何も面白くなかった。
「答えを覚えるだけで、自分の頭で考える
事をしないのは、ばかになっていくだけだ」
と、思い価値を感じられませんでした。
事実、辞める直前までバスケットの部活には
行ってました。

さて、本題です。

やりたい事の為に、学校を辞めて
働き始めましたが、その為には、
やりたくない事も、やらないといけない。
という事を学びました。
2時間の練習時以外の10時間は、
タオル洗い、トイレ掃除、後かたずけ、
仕事の準備等々、やりたくない雑用です。

自分のやりたい事の為に、やりたくない事もやる。
その行為の中に「A]が育っていくのでは
ないでしょうか?

マズローの欲求の5段階が本当ならば、
「やりたい事がない」
というのは、嘘になります。

やりたい事の為には、やりたくない事を
しなければいけないという事を、
解ってしまっているから、
「やりたいことがない」と
表明していたのでは?

主体性とは「A」
エネルギーとは、「食べる事と寝る事」
では?

そして、「決断」には2通りあり、
積極的決断と消極的決断。
前者は、自ら進んで決断する。
後者は、決断する事を迫られて決める。
どちらにせよ、決断する事が
「生きる事」であり、「働く事」
ではないでしょうか?



Posted by T社長 at 2012年11月16日 13:21
まず、誤解してしまったことについては謝罪申し上げます。
「ドロップアウト」「学校嫌い」は私のことです。
混同してしまったようです。申し訳ありません。

本題についての返信です。

「やりたい事をやるためには、やりたくない事もやらなければならない」
これは理解できます。
「理解できます」という表現になってしまいます。
「やりたくない事をやることをいとわない」
というくらいの「やりたい事」、
これが見つからないのです。

「やりたい事がない」という表現は厳密にいえば正しくないことに気づきました。
「やりたい事を見つけたいけれどもやりたい事が見つからない」
こういう表現のほうがおそらく適切だろうと思います。

「やりたい事を見つけたい」ということは、
「やりたい事がおそらくあるだろう」と思っているということです。
それでも「やりたい事」が見つからない、
そういうときにどうするか。
とりあえずでもいいから「やりたくない事」をやってみる。
そのうちに「やりたい事」が見つかるのではないか、という希望を持ちつつ。


と、ここまで書いて、思い出しました。
1月の記事で、こんなことを書いていました。
http://npocsn.seesaa.net/article/245450980.html

メンドクサイ洗いものに立ち向かった結果、
洗いものがメンドクサイものではなく楽しいものに変わったのでした。
ですが、その他のことは・・・
特に社会的行動は・・・

もう一度「決断」が必要なようです。
「やりたい事」が見つかりそうな方向へ進むための、
その方向にある、メンドクサイものに立ち向かう決断が。


なんだかまとまらなくなってきてしまいました。
マズローの第1の欲求が強くなってきたので、
続きは晩飯を自炊しつつ、考えたいと思います。

考察のきっかけを与えていただいたことに、改めて感謝申し上げます。
Posted by 男N at 2012年11月16日 20:59
良いんですよっ!
謝罪するようなことじゃないです。
世間の価値観なら、高校辞めれば、
「ドロップアウト」だし、勉強嫌いは
「学校嫌い」だと考えて普通だと思います。

唐突ですが、小学生の時の理科の実験
大好きでした。
理由は、結果を教えられず、実験した結果をみて
正解を導きだすからです。
その為、私が唯一親に練った物・・
「実験道具」です。
実は、この実験好きのまま大人になったのです。
誕生日辞典という本があり、生まれた月日により、傾向が分かる統計学的な本ですが、ばっちり
的を得ていて、驚かされます。

さて、本題です。

男Nさんにとっての、
「やりたいこと」既にみつかってますよ!

社会的行動なんて、世間の価値観
じゃないですかね。

もっとシンプルに考えて、

「自分が食べるも物は、自分で稼ぐ」
その為に、やりたいことで収入を得る。
という方法と、もっとダイレクトに
自分が食べるものは、自分で作る(生産する)
という2つの選択があり、
どちらを選ぶのも自由だと思います。

古今東西の歴史を観ても、現代社会から
考えても、国家や社会体制なんてものは、
その時々で都合良く変わっていくものでしょう。
そして、それは常に矛盾をはらみながら
変貌していくじゃないですか。

そういうご都合主義だという事が、
解っているわけですから、
親や、国家や社会体制に振り回されない
「屹立した自分自信を作る」事が
死の間際に5つほど後悔することがない
人生になっていくんじゃないかと思います。
Posted by T社長 at 2012年11月17日 02:08
何度もコメント頂き恐縮です。

実験が好きというのはナルホド!という感じです。
仮説と実践、論理的考察とフィードバック、
T社長の考え方や行動のルーツのようにも思えます。


「やりたいこと」が見つかっている自覚はあまりないのですが、
それはあまりに明確なものを求めすぎているせいなのかもしれません。

仰るとおりシンプルに考えて、今の生活を改めて見つめてみると、
インターネットのアンケートサイトで少量のポイントを得たり、
ウォーキング中に見かけた市民農園で野菜を買ったり、
「こういう風に生きたい」という「欠片」はすでに見つけている気もします。

自分が生きていけるだけの「糧」を自分の力で得て、
余ったもの(お金でも食料でも行動力でも)を誰か困っている人のために使う、
そんな生き方ができれば必要にして十分ではないかなあと思います。

あとは実践と考察とフィードバック・・・


なんだか見えてきました。ありがとうございます!
Posted by 男N at 2012年11月17日 20:36
おめでとうございます!

自我が確立され、世間の価値観と
自分の価値観が違うのに、それに
合わせようと生きると、息苦しくなり
身体や精神に変調をきたすのでは無いかと
考えていました。

働けない自分に対して、理由が欲しい。
その理由を探す旅をずっと続けていたの
ではないでしょうか。
その為に、自分の事以外は、はっきり
した話し方や、書き方が出来ますが、
自分の事になると、必ず逃げ道を作っておく。

働けない事に対する理由は、
沢山見つかったけど、働く理由が
見つからない。

これが、邪魔していたんじゃないかな
      ↓
「社会的行動=就職←これ、世間の価値観」

人間の価値は、大学や、地位、名声、財産
なんかじゃ、決まらないと思っています。
死ぬ時には、必要ないですから・・
自分の出来る範囲で、人に迷惑をかけず、
周りにいる人に、優しく接する事が
出来ればOKなんじゃないですかね。
Posted by T社長 at 2012年11月17日 22:52
プロバイダの光回線工事のトラブルに巻き込まれてしまいまして、
返信のタイミングが遅れてしまいました。
申し訳ありません。

往復書簡が中途半端な形で終わるような気がしたので、
改めてコメントさせていただきます。

T社長の書き込みに対し、どう返事をするかを真面目に考えているうちに、
自分自身について真面目に考え直すことができ、
自分自身の過去・現在・未来についての考えが整理でき、
今の自分が何をどうすればいいのかが見えてきました。
改めて御礼申し上げます。

このまま往復書簡を続けてもいいのですが(笑)
私としては今回のテーマに関してはこの辺りがキリがいいのかなあと思っております。

またコメントいただければ幸いです。
本当にありがとうございました。
Posted by 男N at 2012年11月19日 23:48
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