一人で課題をやる場合、
自分のペースで調べものをしたり、
意見を書くことができる自由さがあるからやりやすいが、
これがグループだと、
なにごとも歩調をあわせ、
意見が異なるなら討論が必要になるところに難しさがある。
しかしながら、
今回の場合はその過程で、
それぞれが抱えている障害が現れやすいのも、
難しさのひとつだ。
ある訓練生は、
課題が与えられるとそのテーマを話し合うより、
なぜその課題が必要か気になったり、
ある訓練生は、
自分の意見を言うのに周囲が思っている以上に
勇気がいるため話せずにいたり、
ある訓練生は、
天候によって思い込みが極度に強くなるため、
それを自身がわかってても制御がきかずに、
暴れたり寝込んだりする。
こう書いてる私は、
完璧、やらなくちゃ神経症がのぞいたりする。
わかってるんだけどね。
このような場面で、
限られた時間内に話し合いをし結論を出すのは、
至難といえる。
だからといって「できません」は、
答えでもなければ通用もしない。
やれること、できること、
手を変え、言葉を変えながら、
グループの皆とやっていく。
こうしていると、
私は配慮ということを勘違いしていたように思うし、
自身のおこがましさにハッとさせられる。
メンバーに対して、
物理的にできないことへの配慮は必要だが、
本人の自立性や感じ方、仕事の裁量まで、
配慮という名で値引いていたのではないかと。
哀しい気持ちになった。
梅雨明けには、あと少しかかると、
まだ眠いベッドで聞いた天気予報。