先日カウンセリングの後にかなりんと吉本隆明の話になり、
自宅に帰ってから隆明の詩を読み返してみました。
読み返すと言っても、私が持っているのは一編の詩が印刷されたA4の紙一枚のみ。
昔、くらーい浪人生活を送っていた時にお世話になった予備校の先生が、
大学の合格発表の後の集まりで餞としてくれた紙切れです。
もう10年以上前のもので、すっかり黄ばんでぼろぼろです。
配られた当時は「この先生は何を伝えたいんだろう」と
正直ちょっと気持ち悪く思っていたのですが、
なぜか捨てられなくて、わざわざ東京まで持ってきてしまいました。
今読み返すと餞にこの詩をくれた先生の気持ちが分かるような気がします。
この紙切れを捨てなかった19歳の私、グッジョブ!
以下に引用します。
ぼくはでてゆく
冬の圧力の真むこうへ
ひとりっきりで耐えられないから
たくさんのひとと手をつなぐというのは嘘だから
ひとりっきりで抗争できないから
たくさんのひとと手をつなぐというのは卑怯だから
ぼくはでてゆく
すべての時刻がむこうがわに加担しても
ぼくたちがしはらったものを
ずっと以前のぶんまでとりかえすために
すでにいらなくなったものにそれを思いしらせるために
ちいさなやさしい群よ
みんなは思い出のひとつひとつだ
ぼくはでてゆく
嫌悪のひとつひとつに出遇うために
ぼくはでてゆく
無数の敵のどまん中へ
ぼくは疲れている
がぼくの瞋りは無尽蔵だ
ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられる
ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる
ぼくがたおれたらひとつの直接性がたおれる
もたれあうことをきらった反抗がたおれる
ぼくがたおれたら同胞はぼくの屍体を
湿った忍従の穴へ埋めるにきまっている
ぼくがたおれたら収奪者は勢いをもりかえす
だから ちいさなやさしい群よ
みんなひとつひとつの貌よ
さようなら
「ちいさな群への挨拶」より
さあ、明日も闘いだ。
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‘あゝ、これで一つの時代が確実に終わったんだなあ…’
という感慨に襲われました。
「思想」が打ち捨てられ
無用の長物に成り下がる時代に
今私たちは生きています。
教え子に一遍の詩を残した予備校の先生と
それを捨てずにとっておいたF子さん。
そこに繋がる何かに
絶望を突き破る
強靭な「思想」の力を感じます。
どうもどうも。
このブログ上で絡むのははじめましてですね。
よろしくお願いします。
>かなりん
今まで自覚していませんでしたが、
知らず知らずのうちに「思想」を受け取ってきていたのですね、私。
人間を使い捨ての兵隊としてしか使わない上司への反発も
この「思想」が私の中にあるからなのかもしれません。