2012年05月03日


405 <七色仮面の告白日記>

叔父を見舞って

ゴールデンウィーク前半、
私は恒例になりつつある横浜の叔父を見舞いに、両親と出かけた。

叔父は4年前に脳梗塞で倒れ、
たまたま叔父の娘が居合わせたので危うく一命はとりとめたが、
左半身麻痺という重い後遺症が残り、
現在は自宅で毎日三食ごとのヘルパーによる介護と、
週三のデイケアで日々を送っている。

入院して間もないころは、
歩くことやほんの少しの動作すら困難で、
発している言葉もまったくわからず、
見舞いに行ってもただただその姿を見るしかなかった。

のちに病院から高齢者施設へ転院し、自宅へ戻った。
それから三年、麻痺特有の話し方でも話したいことがわかるまでになり、
ちょっとした移動も車いすを使ってできるようになっていた。

私は叔父に会いに行くのが非常につらい。

半身麻痺した姿を見るやるせなさもあるが、
本当に会いに行きたくて行ってるのかというのが
自身のなかで疑わしいでのある。

小さい時から叔父に対してじゃれることができず、
「おじさーん」という甘えるような気持ちがどうもわかず、
それでも「おまえはかわいがってくれていた」という両親の言葉が、
叔父への気持ちの現れのように感じていたからだ。

そのせいか見舞う際の所作がぎこちなかったり、
声掛けしても上すべりしている感じがどうもイヤで、
それが私につらさを感じさせているのだろう。

叔父は父の他界した妹である叔母の主人という関係にすぎず、
私と血縁関係にあるわけでもないのだ。

それなのにこうして見舞うのは、
親戚のつながりを殊の外大切にするしきたりで育ち、
自身の楽しくない感じがありながらもいい子でいなきゃという、
スプリットした気持ちを抱えながら接してきたから、
当たり前のように血縁は関係なく見舞うことができるのだろう。

私の気持ち次第で、叔父やその他親戚との関係はどうにでもなる。
つながりを守るのか、これまで育んだ関係を断つのか。

今でも、私の身の回りの本当のことは誰にも話していない。
私がどう思ってきたのか、どういう気持ちなのかも。
親戚という知人以上親未満の相手に、何を話せばいいのか。
いまだに、幼少の記憶や思考に苛まれるなんてね。

結局のところ、そう思っていても叔父を見舞うだろう。

叔父を見舞うというのは、叔父にしてみれば現在の麻痺した自身の姿を
見せていることになる。
「おまえは本当に会いにきたくてきているのか」と問われているようで、
そこに私のありかたを投げかけられている気がします。

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posted by CSNメンバー at 14:04 | Comment(0) | TrackBack(0)
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