私は恒例になりつつある横浜の叔父を見舞いに、両親と出かけた。
叔父は4年前に脳梗塞で倒れ、
たまたま叔父の娘が居合わせたので危うく一命はとりとめたが、
左半身麻痺という重い後遺症が残り、
現在は自宅で毎日三食ごとのヘルパーによる介護と、
週三のデイケアで日々を送っている。
入院して間もないころは、
歩くことやほんの少しの動作すら困難で、
発している言葉もまったくわからず、
見舞いに行ってもただただその姿を見るしかなかった。
のちに病院から高齢者施設へ転院し、自宅へ戻った。
それから三年、麻痺特有の話し方でも話したいことがわかるまでになり、
ちょっとした移動も車いすを使ってできるようになっていた。
私は叔父に会いに行くのが非常につらい。
半身麻痺した姿を見るやるせなさもあるが、
本当に会いに行きたくて行ってるのかというのが
自身のなかで疑わしいでのある。
小さい時から叔父に対してじゃれることができず、
「おじさーん」という甘えるような気持ちがどうもわかず、
それでも「おまえはかわいがってくれていた」という両親の言葉が、
叔父への気持ちの現れのように感じていたからだ。
そのせいか見舞う際の所作がぎこちなかったり、
声掛けしても上すべりしている感じがどうもイヤで、
それが私につらさを感じさせているのだろう。
叔父は父の他界した妹である叔母の主人という関係にすぎず、
私と血縁関係にあるわけでもないのだ。
それなのにこうして見舞うのは、
親戚のつながりを殊の外大切にするしきたりで育ち、
自身の楽しくない感じがありながらもいい子でいなきゃという、
スプリットした気持ちを抱えながら接してきたから、
当たり前のように血縁は関係なく見舞うことができるのだろう。
私の気持ち次第で、叔父やその他親戚との関係はどうにでもなる。
つながりを守るのか、これまで育んだ関係を断つのか。
今でも、私の身の回りの本当のことは誰にも話していない。
私がどう思ってきたのか、どういう気持ちなのかも。
親戚という知人以上親未満の相手に、何を話せばいいのか。
いまだに、幼少の記憶や思考に苛まれるなんてね。
結局のところ、そう思っていても叔父を見舞うだろう。
叔父を見舞うというのは、叔父にしてみれば現在の麻痺した自身の姿を
見せていることになる。
「おまえは本当に会いにきたくてきているのか」と問われているようで、
そこに私のありかたを投げかけられている気がします。