2011年04月22日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

諸悪の根源?!

 今私の手元に一枚の古ぼけた写真がある。
それは、今週の日曜日に行われた亡き伯父の
3回忌の席で伯母から手渡された。そこには
燕尾服を着てシルクハットをかぶった一人の
初老の男が写っている。伯父や私の母の父親、
つまり私の祖父に当たる人のポートレートである。

 この人に私は会ったことがない。
長命な家系には珍しく60代で亡くなっており、
私が生まれた頃にはもうこの世にいなかった
らしい。明治の頃には珍しくもなかったのだ
ろうが、本妻の他に何人もの女性がおり、子どもも
あちこちにいたらしい。私の祖母もその一人
だったが、若くして本妻が亡くなって後妻に入り、
自分の子ども2人(伯父と母)とともにまだ
幼かった先妻の子ども4人を育てたという。

 祖母が後妻になるときには、多くの女たちの間で
熾烈な戦いが繰り広げられ、伯母の話によると
「おハルさん(祖母)が勝った」んだそうである。
それで祖母は、戦いに敗れた幾多の女たちの強烈な
嫉妬と恨みをかうことになったのだそうである。

 祖母が育てたという先妻の子どもたちは、
成長後も祖母を大事にして、私も随分かわいがって
もらった。しかしどの家にも跡取りがなく、養子を
とったりしていたが結局は途絶えてしまった。
そういう伯父たちの葬式には、「あの人お祖父さんの
隠し子らしい」という人が来ていることもあった。

 祖父は「福島民報」という地方新聞の副社長だった。
その名は三瓶仙輔。福島の名家の出で、明治の男の
ご他聞にもれず放蕩を重ね、女たちを翻弄して
あっけなく他界した。伯父も母も「後妻の子」と
いうだけで差別的な目で見られて、屈折した心情を
抱えていた。認知さえされなかった非嫡出子を
入れれば、彼の撒き散らした不幸は計り知れない。

 私は祖父を「三瓶家の不幸の源」と呼んでいた。
伯母に「あの世に行ったら文句を言ってやるんだから
顔くらい見ておきたい」と言ったら、写真を捜し出して
持ってきてくれたのである。それを眺めながら
「まったくこいつのせいで!」と呟いたら、従兄弟の
娘たちが「うわー、こいつ呼ばわり」と驚いていた。

 写真の男はいかにも地方の名士然としているが、
想像していたほど傲岸な顔つきではない。美男ではないが
どこかユーモラスな風貌でかわいげがあり、女には
もてたんだろうな、と思わせる。あの世でも女たちに
囲まれているのかもしれない。私より先に恨みを
言っている人もいたりするのかな。しかしそんなことで
かなりんは日和らない。あんたの顔はしっかりと目に
焼き付けた。捜し出して絶対蹴っ飛ばしてやるぞ!


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