2010年12月10日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

くたばれ小市民

 午後の4時半にはもうとっぷりと暮れ、墨色の空に下弦の月。
昼間はそれほど寒くないけど、どこか浮き立たぬ街の雰囲気。

 小心者の脚本に満ち満ちている師走。
いつだってこの季節はそうなんだけど。
今年は特に感じてしまう。
朝フータと散歩してると道とか掃いてる人多いしね。
そこかしこには途切れることなく小走りの勤め人の群れ。
みんな追い立てられるように職場に急ぐ。

 と思えば公園のベンチに寝ているホームレスの男性。
彼を初めて認識したのはまだ暑さが残っていた頃だったけど、
あっという間に寒くなった。今年はまだいくらかいいとはいえ、
これからの季節はつらいよねえ。

 今私の並列読書の一冊は「ホームレス入門」(風樹茂著・山と渓谷社)。
その本の最後に「ホームレスにならざるを得ない場合」のアドバイスが
書いてあって、「決して冬場にならないこと」とある。
「冬はビニールシートが入手しにくく、テントなしで冬を越えるのは厳しい。
過酷な環境が身体にこたえ、一気に老け込んでしまう」のだそうである。

 今はちょっとボタンを掛け違えれば誰でもホームレスになる時代。
この本の著者も失業して、上野公園のホームレスと話したり、その生活を観察
したりして、自分がなったときのために備えたらしい。

 フータを連れて公園の横を通るたび、どうしてもそのベンチに目がいってしまう。
私たちが通る頃はもう寝静まっており、朝はいつも空き缶なんかを集めている。
規則正しく働いてるのよね。ついでに言うと、「ホームレスは働かない」っていうのは
偏見。これはどの本にも書いてある。ホームレスの人たちは多くが必死に働いているか、
働きたいけど職がない、かだ。

 でもこれからもっと寒くなったらあそこは厳しいんじゃないだろうか。
吹きさらしだし。
「入門書」を差し入れたいくらい。

 福祉のテキストには、現代の福祉の最重要テーマとして
「ソーシャル・インクルージョン」を挙げているけど、小心者には
「インクルージョン」なんてできないのよね。自分のことで精一杯。

 誰も彼もが今「小心者の脚本」を生きている。
そこにあるのは「苛立ち」と「不安」。
出てくる言葉は「自己責任」。
子どもの世界も大人の世界も「エクスクルージョン」ばかり。

 かつて若き日、唾棄のごとく嫌った言葉は「小市民」。
「あゝ、何かいらいらする!」ってソフトバンクのCM、今の季節っぽいね。

 

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posted by CSNメンバー at 23:01 | Comment(3) | TrackBack(0)
この記事へのコメント
インテグレーション、インクルージョン、メインストリーム…等等・・・かつて大学時代からそういう横文字を、はあ・・・っていう気持ちで聞いてきたなあって思いだしました。
そういうシステムを理想としましょうっていうことかしら? システムの一つとしてってのなら ふむふむって思うけどそれに人間のあるべき感じ方だとかあるべき姿みたいなものがごちゃごちゃついてくるとめんどくさいなあって思うものぐさ(ひねくれている)な私・・

しかし統合教育なんて実際今だって通級なんかしたら差別というかひどい目にあわされる生徒が結構いるみたいですよね。もし、私がそういう障害をもつ生徒の立場だったら、いじめられて学校に行くよりそっと仲間でいたいなあって思いそうな気がします。優生保護法なんかだと、生まれる前に障害とかが判っても生む みたいな感覚があるかと思うけど、私がその胎児だったら、頼むから産まないでくれえ って思いそう・・・ちょっとした異形があるだけで、ひどい目にあうことがたくさんあるもんなあ・・・実際私自身もそれに類した経験はあって、生まれなかったらよかったのになあ、生まれてなきゃこんな思いをすることはないのになあってひたすら思った・・・まあ、生まれてしまっているから、どうせならそういう嫌な思いもいいものに転嫁してやろうって思うけど・・・。
敬愛する動物学者さんが、福祉の視点と対立して話をしていました。福祉の担当?の方も敬愛する方ですが、そういう話が自由に交わされるのがとても難しい世の中な気がします。
生まれる前に障害がわかった場合どうする?って質問を昔先輩カウンセラーからされた時、私は産まない って答えたら何だか・・・・・。障害があろうと何だろうと存在したものを大事にしよう、しなきゃとは思うけど、でも自分がその立場だったら と思うとやりきれないなあって思います。

路上生活者の方々の中にも、インクルージョンがいいなって方もいるんでしょうが、漠としたものではあるけど社会ってものに復活したら、どうせきつい仕事をさせられぼろぼろにされるんではないかとかって気持ちとかないのかなあ・・・

知的障害のある人たちを指導する人たちのいくばくかは、とても楽しいと言います。はい って素直に聞いてくるとか信頼してくれるとかそういうことみたいですが、何だか私は嫌な気分がします。先生とかって言われて気分がいんだろうなあって感じます。まあ、大変なことも多いから先生って呼ばれるっていう気持ちよさみたいなものがないとやっていけないさっていうのもあるのかもしれませんが・・・何だかそういう話を聞くのはやだなあって思います。私がその知的障害をもつ人だったら、むやみやたらに先生だとかそういう風に言いたくないから・・・先生って思うのは自分が本当にこの人は自分の先生だなあって思える人にしか言いたくないから・・・
と、関係ないことずらずら書いてしまいました すいませんです。

小市民かあ 反日デモなんかでは 某国は日本のことを 小日本って書いたりしてませんでしたっけ・・・
はは・・・中日本 位にしてくれないかな  なんてね
長々すいません 気分にまかせて書いてしまいました。

サンタさん亡くなったんですね・・・
Posted by ma at 2010年12月11日 12:29
うっかりすると、私も今では小市民、っていうか、
小市民根性がどこかに根づいてる気がします。
これってやはりDNAなんでしょうかね。小日本の。

働かないで生きていければこれほどいいことはないと思います。
ホームレスの人たちだって、結局は最も底辺の割のあわない労働をして生きてる。
働かないで生きるというのは本当はもっと優雅なことですよね。

世の中でこれほど労働がもてはやされるのは何でだろう。
働くということは、「搾取」の構造に組み込まれることでもあるのに。
その構造から零れ落ちるともう生活がしていけない仕組みになってる。

「社会なんてくそくらえ!」
12月になるといつもなぜかそういう気分になります。
Posted by かなりん at 2010年12月14日 00:16
んん〜賛同

相談業務をする中で、ある時 文化のハレーションが起きているなあ とか 戦後敗戦してから何か問題があるのではないかなあ って思い、その後、いわゆる保守層のものとか 東洋文明ものとかそういうものを気をつけて読むようにしてきましたが、そうすると出るわ出るわ・・・戦後、日本人は調子こいて経済成長だのなんだのとやってきましたが、結局 戦勝国の思惑にすっかりはまっている側面があって搾取されまくり・・・その上、日本は悪い国 だという自虐史観を意図的に作りあげられているという側面が色々と見えてきたというか、そういうものを研究されてる方々が結構いるという事を知りました。
アメリカの研究所には、日本とドイツを弱体化させる研究の部門とかもあるみたいですね・・・

とはいえ、私は共産とか社会とかのやりかたというのは独裁的になりがちみたいで、で好きではありませんが・・・。

戦前の日本がもろ手を挙げてよかったなんてことは全く思いませんが、しかしこんなに繁栄しているかのようにも見える日本が、先進国の中では極めて自殺率が高いというのは、様々な見えないところでの搾取のコントロールがあるのではないかと思ったりします。

障害者雇用にしても、同僚の中では、アメリカ型に誰しもからお金をとるという仕組みの中で障害者雇用推進が図られてる側面もあるんじゃないかしらね なんて話をしたこともあります。
介護にしても、働け そして 介護もしろ と言われている様な気がしてしかたありません・・・。たまらんちゃ(土佐弁)

Posted by ma at 2010年12月14日 07:53
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