2010年07月14日


スイマー <実業男スイマーの世渡り流々>

システムの弊害。

 とあるお店のバイトちゃんが、
「ゆとり教育の弊害を取り除きたい!!」
なんてことを言ってて・・・。

 円周率=“3”
私をはじめとして多くの人が
“3.14”と教わって、
その計算が当然と思い
信じて続けてきた。

“3”と“3.14”
文字で見る限りでは
たったこれだけでしかない差。
でも、長い間の積み重ねを考えると、
この乗算において
一方の数字が1ケタか3ケタかの違いは
とんでもない差になる。
下手をすると我々は、
円周率“3”と習った人々の
3倍の乗算を経験した可能性があり、
裏を返すと
円周率“3”と習った人々は
我々より1/3の乗算しかしていない可能性を孕む。
これ、教育の機会均等なの?
誰の都合??
受験戦争の緩和?
個人が自己自身の可能性に気付く為に与えられた余裕??

 
 本当はたくさん列挙しようと思ったんだけど、
折からの決算作業に追われて頭がこれ以上の思考を拒否(苦笑)
いや、本当は自分自身が休みたいだけ!?


 制度やシステムに縛られて
本来ならばそれが正常・当然な事柄が受け入れられなかったり
拒否されたりする事例を多く見かけます。
このシステムは、それを運用する人間の集団
=国家、の都合でしょう。
そしてそれをうまく利用する個人の集団は
これを維持しようを躍起になる。
そんな面倒な物事を避けたい集団は、
国家に擦り寄る集団と、間逆の手法を取ろうとします。
M・H・Kと称されたうちの一人である
木村剛氏の逮捕理由とされた手法はその典型でしょう。

 あるリーガル系の海外ドラマで
印象に残っているセリフがあります。
社内恋愛禁止の会社の中で、
恋愛をしてしまったせいで解雇された男女が起こした訴訟の法廷で、
彼らを解雇した会社の代理人が言った言葉。。。
「会社の規律が気に入らなければ、
その際に社員が取るべき行動は2つ。
@会社を辞める、
A規則を変える。
そのいずれかであるべきなのに、彼らは平然と規則を無視して
我々には大人の自覚があるなどと豪語する。
それが“大人”のやることか?」と。
このセリフの中には一切、個人の裁量という要素が排除されています。

 現代に生きる我々は、
日本国に生きる我々は、
そんな超集団・超国家・超法規的な生き方をしようとすると
そのこと自体を咎められます。
集団が示した生き方をすることによってのみ
集団の繁栄が実現するという理屈によって。


 なんだ?それ??


 それこそが、
想像力の欠如であると感じるし、
その集団の発展の伸び代を奪っているとしか思えない。


 
 もともと
“人間の幸せは狩猟時代に戻ることによってのみ実現される”といった
原理主義的思想の持ち主の私が、
この世知辛い資本主義の現代でどのように自己主張していくのか・・・。
共産主義社会の中で、黙ってその主張を押し殺して生きていく方が
変に可能性を与えられている世の中よりよっぽどマシなのかも!?



 これ、
自らが持つ望みを
一足飛びに叶えられない
もどかしさを抱えたある人間の
ちょっとした戯言だと思ってください。


 はぁぁ。




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posted by CSNメンバー at 01:56 | Comment(0) | TrackBack(0)
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