2010年03月01日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

「連帯」と「ネットワーク」

 先日来ボーヴォワールの「他人の血」(新潮文庫)を
読んでいたら、「連帯」という言葉が随所に出てきて、
この言葉を繰り返し口にしていた若き日々をまたもや
思い出しては感慨に耽ってしまったかなりんです。

 そういえば去年の「木村周先生特別講義」のなかで、
先生も口にされ、そのときにちょっと懐かしい感じが
したのを思い出しました。今はもう殆ど聞かれることの
ない言葉になってしまいましたね。

 その代わりに昨今頻繁に耳にするようになったのが、
「ネットワーク」という言葉。我がNPOの名称にも使われて
いますが、命名をしたときの気持ちには、「人と人のつながり
を大事にする場をつくりたい」という願いがあったことが
思い出されます。

 「連帯」という言葉にはどこか硬い感じがありますが、
「ネットワーク」というと柔らかいイメージですね。「連帯」を
英語で言うと‘solidarity’です。‘solid’というのは「固体」の
ことですから、やはり‘net’の方が断然柔軟ですね。
 
 日本語のイメージでも、縦糸と横糸をしっかりと織り込んで
作り上げる「帯」は硬くて形も決まっているけれど、糸をゆるく
つなげて編む「網」は柔らかく広がりがあります。

 これってやはりつながりを生む媒体の違いでしょうか。
「連帯」の基盤には、往々にして「イデオロギー」なる観念的な
代物が介在していましたが、「ネットワーク」にはもっと心情的な
ものがあるような感じがします。

 イメージだけなら、「ネットワーク」は「連帯」よりずっと容易く
つくれそうなんですが、しかしやってみると、これがなかなか
そうはいかないのです。「イデオロギー」ってヤツは剣呑では
あるけれど、良くも悪くも単純ではっきりしていた。その点
「心情」っていうのは、どうも複雑でかなり面倒なものだったり
するんですね。60年後半に頻発した左翼セクト同士の激しい
衝突は、「イデオロギー」という衣で覆った「憎しみ」とか「怒り」
とかの感情の爆発です。いってみれば、「心情」というのは、
「優しさ」とか「悲しみ」とかの茫漠とした見掛けの陰に、硬い
「連帯」を空中分解させるような恐ろしいエネルギーさえ
孕んでいる誠に混沌としたわけのわからないものなのです。
 
 そんな曖昧で捉えどころのない「心情」なんてもので網を
作るのだから、どうにも一筋縄ではいきません。糸の太さや
強度も人それぞれだし、そのときによっても違う。だから
つながったかに見えても、ちょっとした衝撃があれば
あちこちですぐに切れる。いざ編もうとしてみると、それは
それは難しいのです。

 だから今は、とにかく形だけつながっているようにさえ
見えればいいという向きも増えているようですね。
ただそっと広げて、つながったような錯覚に浸っている
うちはそれで済むけれど、ひとたびその網で何かしようと
するとひっきりなしに綻びる。これじゃあドジョウ掬いの
ひとつも出来やしません。

 かように「ネットワーク」というのは厄介でしんどいものだ
ということを、「ネットワーク」の名を冠したこのNPOを
やってみて改めて痛感しました。考えてみればことさら
改めなくても、「人と人がつながる」なんてことがそう簡単に
出来ようはずもないのです。帯のようにがっちりと枠を
決めて、その中に糸を閉じ込めてしまうようなやり方でも
しなければ、すぐにばらけてしまいます。目的に「革命」
なんぞを標榜していれば尚更ですね。今でもこういう
やり方をしている組織もあるようですが、歴史を見れば
そういう方法がいずれ破綻することは明らかです。
どんなに大変でも、時間がかかっても、しこしこと網を
編み続けるしかありません。

 それぞれが自由に存在しながら、尚且つちょっとや
そっとでは綻びぬような関係をつくりあげるためには、
何度も何度も切れた糸をよじり直し、他者の出してくる
糸との調整をしながら、時間をかけて綻びた網を修復
していかねばなりません。途中で嫌になって投げ出す
こともあるけれど、それでもまた気を取り直して針を
とる。そうして少しずつ網は強くなっていきます。

 CSN開設以来実に7年。メンバーの一人一人がそういう
作業に取り組んできた年月でした。その苦しみと葛藤を
たっぷり吸い取って、まだまだ小さくはあるけれど、使用に
耐える強度をもった網ができつつあります。くしくも今度
皆でオープンすることになったドーナツカフェは、CSNの
「ネットワーク」の名が、単なるイメージを超えて内実を
獲得していくその過程の象徴であるような気がします。


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posted by CSNメンバー at 22:26 | Comment(4) | TrackBack(0)
この記事へのコメント
ネットワークというと、以前仕事での研修で、どのくらいたくさんの関係機関を知っているか、が大事だということでkJ法だかで関係機関を書きだしたり、それをネットに繋げて書き上げるというのをしました。
しかし、ほんとネットワークって言うは易し、しかし・・・って感じするなあって思いました。人の援助を行う時にも、援助をする対象を何人かの違う職種や立場の人で囲んでネットを作ることが大切だと・・・しかし、下手をすると本人だけが、まるでドーナツの中の空間にいるみたいになって、ぽつねんと取り残されるということにもなりかねない・・・。つながっていると思って思いこみだけで、何の声も支援をする側に伝わっておらず、本人もどこに伝えればいいのかわからない。人によっては、あの人に伝えるとあの人に悪いかなあという感覚にも陥りそうで気を使わせてしまう羽目にもなるなあって思いました。
だから、ネットワークがうまく機能するには、それぞれの人や機関がそれ用になることが必要なのではないかなあって思いました。
連帯っていうと、もう古い感じはしますが、なんかちょっとだけ怖いきもちと安心するようなきもちとが混じるなあなんて感じます。

生活の中に昔みたいなネットワークっていうか助け合い社会みたいなものが少なくなっている今は、下手をするとネットワークっていう蜘蛛の糸みたいなものが頭上高く網をはっていて、それを下から見つめている私 みたいなものにならないとも限らず、難しいものだなあって読みながらおもいました。
Posted by hana at 2010年03月02日 10:50
hanaさま。コメントをありがとうございます。ご自分の感じたことを
沢山書いてくださって嬉しいです。

「ネットワーク」というのは、本来情報網とか通信網とかに使われる
言葉なので、本当はもっと乾いたイメージがあるのかもかも知れません。
機関同士の連携なども、情報を共有してよりよい具体策をとるため
という目的があってのことですものね。
‘net’というのは、「張り巡らす」という感じも持っていますし。

「ネットワーク」に「つながる」というイメージを抱いてしまうのは、
やはりそういう活動のなかにいるからでしょうか。
もっと軽くドライに捉えた方が、効果的な場合もあるのかもしれないな、と
そんな気もしますが、やはり私たちの「ネットワーク」をつなぐものは、
「情報」や「用件」とかの無機質なものではなく、どんなに面倒でも
「人」でありたい、と思うのです。

Posted by かなりん at 2010年03月03日 21:35
共感します。

乾いた感じのネットワークで何かをしていこうとすると、利用者になる前に各人が学校とかで社会のネットワークの使いかたとかを学んでおかないと使いきれないと思います。しかし、学校教育とかまたは家庭教育などの中でそういう教育がなされているとも思えないし、また、それを学んでもそれをうまく使える人がどれだけいるのでしょうか・・・(福祉なども自己申請が必要で、体等がぼろぼろになった状態で何か情報を得て何かしないといけない・・・とかがあり、なんじゃこれと思うことしばしば・・・)

介護などでも、身体介助は専門家に、愛情は家族でなどという話をきいたことがありますが、そうもいかず、いまや昔のような家庭でもないでしょうし・・・だから、利用者さんは宙ぶらりんになってしまいそこそこ何かしてもらっても乾いたものだけしか受け取れず、むしろ自分がやっかいものかのような感覚さえ抱く場合があるのではないかなあと身近な例をみていても思います。かといって愛情などというものはよくわからなくて、でもそれをもつということは案外至難の技で、それを持ち続けるということもそれこそ大変なことだとおもいます。

利潤を追求する機関や、またはいわゆる公的機関だと何かどうしても満たされないものを感じます。たとえば何かやってもらっても、機械的というか・・・まあ それだからそういうものが長く続くのかもしれないですが。また、世の中そういうもんだよ 自立できていないんだよ と言われればそうなのかなでもありますが、しかし、私もウエットな感じだとか 人としてありたい感じだとかってとても大事だとやはり思います。
ドライなものウエットなもの両方あってしかるべしなんでしょうが・・・ドライなものだけの中ではなかなか生きていくのは難しいのでないかなあと思います。・・・人間が変化したらわかりませんが・・・
しかし、心ある支援等をしている人たちはストレスもかかるとも思います。お体お大事に
Posted by hana at 2010年03月04日 11:07
hanaさま。共感を伝えてくださって、ありがとうございます。

今は初挑戦の事業に向けて、試行錯誤の毎日ですが、
こういうコメントを頂けるととても励まされます。
人のネットワークが人を支え、その人がまた別の誰かを支える、
そんな風にして、少しずつ確かなものにしていきたいと思っています。

hanaさんともつながっていることを感じます。
どうぞその思いを広げてください。

Posted by かなりん at 2010年03月08日 13:33
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