パソコンでやることが多いのですが、
その際、管理の都合でタイトルの頭に6ケタの日付を入れます。
たとえば今日であれば“100106”のように。
無論、年が明けてからの文書は
頭が‘1’になるわけですが、
昨年まで10年間慣れ親しんだ‘0’頭の日付で無くなったことが
時の流れを否応無しに私に感じさせました。
考えてみると、
ミレニアムだY2Kだと大騒ぎしたあの時から
もう10年も経ちました。
私にとっては、
何かあるとその都度立ち止まって
「今まで何やってきたんだろう」
「俺、一体何やってるんだろう」って
後悔の念を抱くような、
曇天模様の長く続いた時期でした。
しかし、
そんな事を思って悶々としていた日々はどこへやら・・・。
今は新しい10年の始まりにワクワクしています。
昨年の大晦日など、これほど気持ちの落ち着いた年末は
今までで初めてだと言い切れるくらい、
温かい気持ちの年越しでした。
はてさて、この劇的な変化は一体どうして生まれてたのか。
(いや、実際は段々と醸成されてきたくらいの感じですが)
思い返してみると、あの日に遡るのです。
我らが愛猫「華」です。
彼がうちの実家に来てから、
何となく私、のみならずうちの家族中の流れが
変わった気がします。
いや、ほんと「気」だけですが、
実際はそれだけで十分です。
私や家族の気持ちが明るくなり、
それによって周囲の空気の流れが変わる、ということを
文字通り肌で感じています。
実際、私や私の仕事に関してなら
思いもしなかった大きな仕事に巡り合うことができたし、
他の家族もそれぞれに素敵な出来事があったり
順調に事が進んだりと、
まさに順風満帆状態です。
しかも不思議なことに、
「落ちるかもしれない」といった不安な気持ちが
湧いてこないのです。
こういうのを“来てる”と言うのでしょうね。
仮に
“落っこち”てしまった時でも、
前のような立ち止まりはしない気がするんです。
悔やんでても何も始まらないから、
次の新たな事に目を向ける精神的余裕は
持てているかな、と。
ご存知の方も多いはずのこの孔子の言葉
「吾十有五而志于学、三十而立、四十而不惑、
五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲 不踰矩」
かつてどこかで、
この年齢の区切りはちょうど、人間の体のホルモンやその他の
生理学的なバランスが変わるタイミングであることが分かってきた、と
聞いた記憶があります。
「30にして立つ」。
前述の華がうちにやってきたのも私が30になったばかりの頃でした。
自分の中の何かが変わり始める時に、偶然に起こった外的要因の変化。
たとえ偶然の積み重なりとしても、全てのタイミングが合ってきている今、
走り、もとい泳ぎ始めないのは単なるおバカということで、
ともすると流されてしまいそうな早い潮流の中に
飛び込んでいこうと思っています。
皆様、改めまして
新年おめでとうございます。
本年も宜しくお願い申し上げます。
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