日経に追悼文が掲載されているのを読んで知りました。
記事中の「挽歌」という文字に、ふと遠い昔の思い出が
蘇り、一瞬甘く切ない感慨が胸をよぎるのを覚えました。
あれはまだ小学校の6年生の頃。
もう少年少女文学全集の世界には飽き足らなくなっていた私が
従姉の家の書棚に見つけたハードカバー。背表紙に「挽歌」の
文字。それまでの子ども向きの本にはないあえかで密やかな
雰囲気を感じ、そっと抜き取ってぱらぱらとめくってみれば、
そこには未だ読んだこともないめくるめく恋の世界が
繰り広げられていたのです。
家に持ち帰って夢中で読みました。
それは少女と中年の男の恋物語で、読み進むうちに
まるで自分が主人公になったかのように高揚した
気分になり、読み終えてからもずっとその高揚感は
続きました。ランドセルに入れて持ち歩き、授業中や
学校帰りの道々にそっと開いては、こみ上げる甘い
気分に酔ったのを覚えています。
「挽歌」の文字に触れて蘇った感慨は、まさしく
12歳の私が感じたものです。もう半世紀以上もたって
いるのに、本当に身体の感覚というのはリアルに
再現されるものなのですね。
不思議なことにこの本はそれっきりで、読み返すことも
なく過ぎてしまったので、私は「挽歌」の主人公は12歳の
少女なのだと勝手に思い込んでいました。そんなことは
ないらしいのが今回初めて分って苦笑してしまいましたが、
それほどまでに主人公に自分を重ねて空想に耽った
少女の私が愛おしくもあります。
「父親願望」一色に彩られていたその頃の私の心象風景を
思いやれば、この小説への私のはまり方は随分幼いもの
だったんだなあと分ります。還暦を過ぎた今はどんな風に
感じるのだろうと、文庫本を買って読み返してみたくなりました。
冷たい雨がそぼ降る今日のような日にはぴったりの小説かも
知れません。
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