一週間かけて考えてみた。原因は平坦な、なだらかな日々にあるように
思う。障害物が無い。
ちょっと数年前までは高い障害物に必死に努力し立ち向かっていた。
意識して高い目標を掲げて、乗り越えて来た訳では無い。
気が付いたら目の前に障害物が在り、無条件に乗り越えるべく頑張っ
ていた。まるでモルモットの籠乗りの様に。
あっという間に月日が流れた。
物凄い勢いで月日が流れ、頼り無かった自分も少しは力強くなった。
随分、横道に反れ後悔の日々が続いた。しかし、やっと今、全ての過ぎ去り
し日々が懐かしく、受け入れられようとしている。
必然の日々として。
ここ数年は、緩やかに過ごす事で疲れた自分の内面を癒そうとしてきた。
もう十分癒された気がする。勿論、掘り下げれば、まだまだ癒されていない
部分は在るだろう。しかし、底知れない怒りや不安は表面化しなくなった。
張り詰めていた神経は緩やかに穏やかになって来た。
自然との対話や安定した交友関係で自分を見つめ直す事ができた。
もう十分休んだ・・と心の声が言う。
もうそろそろハードルを少し上げたら・・と心が叫ぶ。
ハードルが低いままでは躍動感なんて感じない・・と心が言う。
ハタ!と考えた。
いったい自分は何をしたいのか?
これからは誰に言われる事も無く、誰かの為で無く、自分自身の為に何を
すれば満足できるのか?難しい。考えてばかりで足踏み状態の時間が過ぎ、
行動しない自分に、有り余るエネルギーが出口を探し始めた。焦燥感。
フッと気が付けば考えていた。何をしたいのか?
嫌、実は分かっていたのだ。どっちを向いて走り出したいのか。
でも、それをやるには何かが自分の前に壁の様に立ち塞がっていた。
その壁を一気に越えようとすると恐怖で立ち止まってしまっていた。
最近思った・・休み休み、少しづつ考え考え、進めばいい・・と。
駄目なら引き返せばいい。このままだと、前にも後にも進まない。
最近気付いた事が有る。
自分が前に進めないのは、頑張った結果、失敗して打ちのめされる自分の姿
を見たくないし味わいたく無いからではなかろうか・・と。
でも誰の為にやるわけでも無いものに対し、自分が失敗したからと言って誰
に対して恥じる事があろうか、無いではないか・・と。
打ちのめされても自分でじっくり対処して立ち上がればいい。
失敗しても、やらないよりはいい。何もしない事からは何も生まれない。
失敗しても足跡は残る。物事が成就するまでの過程に人間としての成長が有
ったのだと、今さらながら実感した。
自分の中で後悔の日々が懐かしい日々に変わった。
良く頑張っていたんだと思える自分に変わった。
平坦な日々もいいが、今の自分には少し波立つ日々が欲しい。
上がり下がりの激しかった日々の落差を少し小さくして、自分の目指す方向へ
、ゆっくり時間をかけて歩き出そうと思う。
歩き出そうと思った今、この瞬間に何かが吹っ切れた気がする。
気のせいでもいい。もう歩き出したい!行動したい!行動しよう!
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