仲良くさせて頂いている方と
食事する機会が持てました。
その方(仮に“A氏”としましょう)は、
普段常に笑顔で、何に対しても前向き。
関わる人全てに笑顔を分け与えるような人です。
そんなA氏の
笑顔の裏に隠れた、
言い換えれば
笑顔を見せ続ける「覚悟」のようなものを含んだ
人生を聞かせて頂きました。
一人の人間が抱えている苦悩があり、
その苦悩の先に見出した一筋の光明があり、
その光明のおこぼれに預かって
心が温まったり救われる人がいたりして、
本当に人間関係というやつは不思議です。
突然話が大仰になりますが、
人が何のために生きているかっていうと
時々訪れる「楽しみ」があるからだっていう
解釈を最近放り込まれた私。
たちまち我々が
日常的に行っている仕事、家事、役目というものは
おおむね結果が出るまでの過程はつまらないものじゃないですか。
その結果が明るいものだからこそ
そこに向かう道程を乗り越えられる、ってな感じでしょうか。
これって、
タイトルの公式に当てはまりませんか?
実際問題として、
先にゴールが見えない(想像できない、の方が的確かな!?)物事に
誰が着手しますか?って話ですね。
「死に至る病」なんて誰かが言ってましたが、
これは「=絶望」。
すなわち、「苦悩−意味=死」ということに繋がりますよね。
ここで「何で生きているの?=生きる意味への問い」ってことに派生させると
「楽しみを感じない人生=死」ってことになっちゃう。
無論、この場合は
生物的な「死」でなくとも、
社会的な「死」ということも有り得るでしょう。
・・・・・・。
あれれ??
意味=楽しみ的に持っていきたかったのに、
何だか重苦しい方に向かってしまった。
楽しみの為に生きるという解釈が
しっくりきたのは、
自分なりの人生の楽しみ方を
自身が分かってきたからかもしれない、
そんな感じだけ置いて
今日のところは
この乱文を閉めさせていただきます。
何となく
収拾がつかない感じに
なってきたので(涙)
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