でも家計が苦しいのでだましだまし使ってます。
でもいっそのことぶっ壊れたほうがスッキリするかもしれません。
でもそうしたらひきこもらなくなるかなぁという考えは甘い気がします。
自分の声が昔からキライです。
録音されたモノを聞くと、気持ち悪さを感じます。
主観的に思っている自分の声と、
客観的に聞く自分の声のギャップがいまだに埋まりません。
声については同じコトを感じる人も多いみたいですが、
写真や映像の中の自分の顔についても同じように感じます。
どうやら自己イメージが二十歳くらいで止まっているみたいです(笑)
脂ぎってたるんだ自分の顔を受け入れるコトができません。
そういうコトをイッサイガッサイ吹っ切ってやったので、
CSN同窓会は楽しかったのかもしれません。
ホントは吹っ切るんじゃなくて受け入れることができれば、
自己評価はもっと高まるのかもしれないですけど。
さすがに「老い」は隠せないです。
隠せないんだったらいっそのことさらけ出しちゃえ!
ってな境地にほんの少しだけ近づいたような気がした、
そんなこんななイベントだったのでした。


↑ 目標は 今更ながら エド・はるみ
「認知行動療法」「森田療法」・・・
あるいは「かなりん療法」「アンチかなりん療法」・・・
宗教は新旧大小問わず、最後のところで肌が合わない気がして・・・
哲学やら心理学やらを勉強しまくって「男N教」でも作ってみようかな・・・
歳を重ねるのがそれほど怖くなくなったのは、僕の場合子供ができてからになるでしょうか。
小学生の頃、生命の砂時計の存在に怯えを感ずるようになりました。
十代後半から二十代前半まではこの感情にだいぶ支配され、行動・決断が左右されました。
信仰を含めた諸々の選択、方向転換、痛み分けをするなかで、いま感ずるところは…
“人肌恋しさ、温かさ…”を欲する自分の存在ですね
砂時計の砂一粒に込めて、感情表出してみたあとのバツイチ男36歳でございました。
追伸:視覚も聴覚も、所詮はその人の主観に基づくものなように思えます。
「無知の知」ではございませんが、“分からない”を前提に、好きな歌を気持ちよく歌うように、奔放に生きてみたい私自身でございます…
だとしたらお久しぶりです。お元気でしたか?
時間が逆には流れないように、年齢は増加する一方なのでしょうが、
ショーウィンドウに映る自分の老け顔をふと見たときに、
せめて「いい歳の取りかたをしたなぁ」と思いたいものです。
そう思いながらも、
「今を生きる」ことについては「あんまり上手くならないなあ」
と凹んでしまう自分がいることも否めないことでして、
そうやってもがいているうちに、気が付けばまた歳を取っているんですよねぇ・・・
四月に就職した職場を先週末で退職し、七月より新たな職場に就職します。昨日労働基準監督署で申し立て手続き済ませ、今は新潟の管理人不在のキャンプ場でまさに一人焚き火をしているところ。こういう時間がやっぱり好きです。
良い歳の取り方には憧れますが、我が身を振り返るなかで分からなくなりました。
諦めたとは言いたくないし、かといって決して上手く行っている訳ではない。
開き直って自分らしい歳の重ね方目指すことにしようと思っています。
「人生色々ありまんがな、くよくよしたらあきまへんで…」とは好きだった本の中でオカマのたっちゃんが言っていたことばですが、今回も多少くよくよモードに入りかけたところでバイクでキャンプにでかけたら予想以上に充実していて。かなりん先生に紹介してもらった「嫌な気分よさようなら(認知行動療法の本)」とT医院のお陰でしょうか。どっぷり脚本にならぬようにしたいと思っています。
仕事柄もあって、若い女の子をみても「この子どんなおばあちゃんになるんだろう…」とか想像してしまう性分です。
老いも若きも魅力は一緒?
長文失礼致しました。
それぞれに無理ない範囲内でよろしくお願いいたします。