気が付くとマンホールの蓋が目の前。しかも交差点のど真ん中。
私って、やっぱりドジ!イタタタ・・。
フッと後ろを振り返るとシラ〜っと乗用車運転席の男性と助手席の女性がジッと
見ている。ヤバい、早く自転車を起こさなくちゃ〜。ガシャ〜ン。
履きなれないヒールと着慣れない礼服でアタフタ、弾き飛ばされたバック
を拾いながら自転車を立てようとしても立つ筈もなく・・。
慌てて交差点から外れながらも一瞬、タイムスリップ。
小学高学年の頃、非常に混雑した道路で自転車に乗りながら、目前の女性を
避けようとしてスカートの裾が自転車に絡まった。慌てて降りようとして後
方を走っていたバスの前にバッタリとこけた。
あの時もバスの運転手がシラ〜っと。
そして5年前、車での転倒事故の折、車から這い出した目の前に、又してもバス。
やはり運転手と乗客がシラ〜っと。
3回とも、かすり傷で済み、本当に運が強いというか何というか、パチクリ。
今回は礼服だった為、歩幅が開かず、両膝と両向う脛が打撲とすり傷で膨れ
上がり、やっと今日辺りから腫れがひき始めた。
その日は親戚が集まる日で朝からバタバタと、焦り気味だった。
しかし、こけたお陰ですっかりテンポが狂い、腹が座ってしまった。
何に対して腹が座ったか、というと・・母に逢うという事に対してだった。
去年の暮、母親に対して積年の思いを、思い悩み、言いたくて言いたくて
言えなかった思いを、腹の底から絞り出すように伝えた。
母親の独断的な他人に対する偏った考え方と母親の自己愛の強さから来る、も
っともらしい様々な言い分に対して・・自分の言いたい思いを私は長い間、自我
を抑圧する事で我慢してきた。
どうせ言ったところで分かって貰えないという思いと真剣に母親と自分自身に
向き合う気が無かった。
しかし、去年の夏頃から少しづつ自分の中で何かが変わって行った。
そして、ついに去年の暮、堰を切ったように思いが言葉となって流出した。
激しく言い連ねる私の言葉に、母は、抵抗なく黙って聴いているだけだった。
母が黙って聴いている筈はなく理屈っぽく言い訳すると思っていた。
今年になって母親に言いすぎてしまった事を少し後悔していた。
その事が母に逢う事を気重にしていた。そして兄弟と逢うのも気重だった。
そんな理由から親戚の集まりに出かける事が妙に気のりがしなかった。
しかし母親の顔を見るなり、自分の母親に対する思いが変化している事に驚いた。
「あれッ?解けている!」抑圧の感情が解けているように感じた。
これからは寂しい思いをさせてはいけないなとか、もっと話しを聴いてあげよう
とか、そんな自然な思いが込み上げて来る。
ああ、やっぱり自分自身の囚われの感情が自分を不自由にしていたのだ。と、実感
した途端、気持ちが楽になり気が抜けた思いだ。
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