2009年01月09日


ひろみん <臨床検査技師・ひろみんのラブ&ピース>

無意識

突如として、自分の中に無意識に溜めこんできた感情の渦に気が付いた。
長い間、見たくなかったから気付かなかったのか?見ない方が得策だった
から気付かなかったのか?分からない。防衛機制。

去年の夏、長野の善光寺を訪ねた折の事だった。
本堂に足を踏み入れた途端、胸に込み上げる得体の知れない思いと涙に
自分自身が戸惑ってしまった。何故なのか?

そして去年の秋、突如として一人登山をしたくなった。
それまでも一人ハイキングは度々していたが登山までは、やりたくても実行
に移してはいなかった。
しかし突き上げる衝動は消し難く、一度達成してしまうと歯止めが利かず、
毎週登らないと落ち着かなくなった。

この状態が続くとヤバイぞ・・。と思いながら考えた。
何故こんなに山に登りたいのか?
周りが一人登山は危ないという言葉も聞かず・・。

山に登りたいのは、元々エネルギッシュな自分のエネルギーの、はけ口と
して登っているのだと自分では表向きには思っていた。
旅先での見知らぬ人との出会いは楽しく、ふわ〜っと癒された。
そして何よりも達成感が残った。でも登りたい理由は、これだけでは無かった。

過去に置き去りにして気付かないままにしていた感情の渦は、善光寺を機に一気
に吹き出した。無意識のままに。

それは「癒されたい」という思いだった。

私のエゴグラムはNPとACが高い。
随分、長い間、自分の無意識に積み上げた自分自身に対する信頼の無さと自分自身
を慈しむという事への開眼の無さ・・。この上に人に認めて欲しいという自分の存
在価値を勝手に築き上げて来た。

ここまで、自分が「癒されたい」と思っているとは全く気付かなかった。
この「癒されたい」という思いは自分の育った環境や過去の職場でズッシリと手痛く
傷ついた思いだった。忘れ去りたい思い。

見たくないものを見ないままでは終わらなかった。
まだまだ見たくないものは有るのだろう。
気がついた時に対処する事にしよう。

一つの解答を得た。何故、見たくないものを見なくてはならないのか?何故、考えた
くないものを考えなければならないのか?

見たくないもの、考えたくないものを心の底に置き去りにしたままでは、自分自身が
納得できていない。感情のもつれが処理できていないまま積もり重なり、膨れ上がる。
そして無意識のまま日常生活に多大な影を落とす結果となる。

何だかスッキリした。
訳の分からない涙の訳と山登りへの衝動の理由が自分なりに納得できた。

さて今年の自分自身への課題は何だろうか・・。


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posted by CSNメンバー at 19:30 | Comment(0) | TrackBack(0)
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