4年ぶりに再会した友人から、
その友人が立ち上げ管理しているSNSの招待を受けた。
自分はSNSという交流が、得意ではない。
SNSで日記を書いたり、
コメントをつけたりする面ではブログと変わらない。
でも自分が今まで体験したSNSは、
SNSの目的が前提にあり、
その目的内に自分がいても、自分の素を早々に出しづらい感覚があった。
そのせいか、
ブログのほうが言葉を選ばずに書ける場合がある。
そんな理由がありつつも、
昨今の自分なりに友人主体のSNSに参加してみようと思った。
この友人とは表面的な親密さはあるけど、
心のやりとりでは交流分析でいう「ゲーム」の対象となる色合いが濃いと感じていた。
このアンビバレンツさは、
こすっからい自分を知っている人には、
なるほどねと思うのかもしれません。
こすっからい自分は今はどうしているのかと意識しつつも、
友人とのゲームは避けようとしていた。
数か月はちょこちょこ日記やコメントを書いては、
少しずつ馴染みはじめてきた頃、
友人が「このSNSのロゴがほしい」というコミュニティを作った。
自分はロゴの必要性まで関心が及ばず、
コミュニティ自体もコメントを参照する程度だった。
ロゴについては、友人の思いのほか意見が出ず、
更に「このSNSの実行委員をつくろう」とまで飛躍した。
自分はこの突飛な書き込みに以前の「ゲーム性」を感じ、
どうするかはひとまず自分なりの距離を置いた。
しかし実行委員についても何らコメントがなく、
しばらく様子を見ていたら「みんな関心ないんだ…」と、
友人が書き込みした。
その後友人は、
「誕生日なのに特定の相手がいない」、
「やるべきことをやらずにいた」
といった日記が続いた。
自分は友人の日記から滲むサインにどう答えていいかわからず、
まずはロゴのコミュニティについて考えをまとめ、
「ロゴと実行委員は別に考えては」と、
コメントをした。
このコメントに、
友人からすごい剣幕のレスポンスがあった。
「えっ?」と思ったのは後の祭り、友人からは
「そう思っていたなら、なぜ言わない」
「アンタは俺に全国に恥をかかせた」
「アンタは人の気持ちがわからないのか」
「アンタにこのSNSをぶち壊しにされた」等々。
今こうして書いていても、うなだれてしまう感じ。
もちろん怒りは湧いた。
しかしその言葉に乗ったらどうなると思っていたので、
電話でもいいからちゃんと話したかった。
でも留守電でメッセージを残すと、
更に倍になってメールが来た。
しまいには、
「アンタに殺されそうだ、もう連絡するな」
を最後に、やりとりは終わった。
自分は、明らかに友人に転移をしていたのは気づいていた。
しかし自分なりの「大人の自我」で対処するほど、
友人はひどく罵声を浴びせた。
友人が怒りを露にしたきっかけを、
自分はなんとなく気づいていた。
それは友人が今月初めに入院を余儀なくされ、
友人自身それを知りつつも、救われた命を荒れす生活ぶりになっていたからだ。
その怒りの裏にあるものは、
友人との親密めいた関係では友人の環境まで及ばずにいた。
でもそれを聴いたところで何もできない。
おまけに「人殺し」とまで言われる境地は、
その後の自分を揺れ動かした。
その感じは、先週のブログの通りです。
少なくとも「なんとかしてやろう」と思った自分の気持ちに、
反した応えを受けたこの想いこそが、
自分を人生脚本に引きずりこむことであった。
今感じていること、
それは怒りを向けられた自分をも抱え、
それでもこの先友人に会って、
「どうしてた?」と言えること。
そして、
自分にもまだ根深いモノでゲーマーになりうること。
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こんにちは。
スナイパーと例えるあたりが、
いかにも友人が自分を狙い定めて撃つ感じですね。
友人は「人殺し」と発することで、
自分には意識ダメージを、
友人は惨憺な姿を友人自身が感じたように思います。
怒りや残虐な言葉は、
現実問題を直視あるいは、解決できない気づきたくないと感じる気持ちの現れや、
怒りの燻りを抱えて生きてきた経緯から変わる抵抗など、
自分なりに解釈すればいくらでもできますが、
文中通り、友人の怒りの詳細は友人にしかわからないことですかね。
ハンスさんのコメントを読み、
自分は少し静観できたと思います。