この言葉を聞いた時に、人はどういう事を連想し感じるのだろうか?
孤独、雑多、焦り、立ち止まり、苦悩、希望、自然、音楽・手段・・・。
人それぞれの感性・理性・環境等により色々連想される世界は違う。
そして、誰人たりとも究極的に同じ岐路に立つ事は無く、できる筈
も無い。
私は、かつて思っていた。
岐路に立った時はできるだけジタバタしよう。と。
必死に泳げば道は開けると思っていた。
方向性の無い行動と対話。波寄せる不安と孤独の中、必死に目を閉じて
泳いでいた。若さと無知の己に周囲の目と声は単なる雑音でしかなかった。
そして今思う。
ああ、目をあけ耳を澄まして泳げば良かった。と。
振り返れば、随分遠回りした。
でも何故か、目を閉じながら必死に泳ぎ、思いっきりジタバタしていた
過去の自分を今は懐かしく、微笑ましく思う。
若かりし時の盲目さのお陰で自分色の人生を歩けた。
穴に落ちたり這い上がっては又落ちたり。
自分だけの人生ストーリー。なかなかのものだ!
目を開け耳を澄まして泳ごうと思う、今の自分は周囲の目と声が以前よりは
見え耳に入る。時間がゆっくり過ぎて行く。
これも、なかなかいいもんだ!
先週、山本コウタローの講演会が 杉並保健所主催で行われ、思いがけず聞く
機会に恵まれた。タイトルは〜生きてほしい あなたらしくイキイキと〜。
だった。
山本コウタローの講演は「走れコウタローと岬めぐりのたった2曲で38年」と
いう出だしから始まった。白鳳大学で経済学を教えてながら現在60歳だという。
私の世代の人なら誰でも懐かしく思い出されるフォークシンガーの一人だ。
そんな山本コウタローの芸能活動は随分長い間、休止状態だったようだ。
その裏には大きな病気と鬱、そして海外留学があったという。
そんな折、最近テレビの脇役で出演したり、久しぶりにフォークシンガーとして
活動再開し始めたのは、繰り返し見た夢に因る所が大きいと話していた。
その夢はステージで自分が歌う順番になって声が出なかったり、歌っている最中に、
どんどん客席から客が居なくなり、恐怖で目がさめるという夢だったという。
繰り返し見た夢は自分が歌いたいという欲望の裏返しだと彼は気づいた。
そして動かない指や狂った音感、リズム感を取り戻し、もう一度歌おう、精一杯
生きようと思ったという。
最近の政治経済の不振を思う時、私達の世代は自分達の子供の世代に何をどう残し、
何をどう伝えれば生きやすい時代に繋げてあげられるのか思案に暮れる事がある。
しかし、山本コウタローは言う。
言葉で言わなくても伝えられなくても、自分自身が精一杯生き、笑いながら、泣きな
がらでも、日々の生活に明日への希望を見出す事ができれば、その姿を通して次の世代
に何かを残せるはずだと。
何の変哲もない言葉のようだが、妙に納得する自分がいた。
↑ブログを読んだらクリックしてね!