「夢なんか持つな。夢を持つとロクなことにならないんだ」
母に友人関係の悩みについて話そうとしたとき、
「人はね、いつでも独り。孤独なのよ。」
自分が小学高学年から中学生にかけて、そう教わった。
そんな両親の期待は、自分を公務員に就いてもらうことだった。
多分、両親にはその当時まで明るみにならなかった、公務員神話を自分に望んだのだろう。
それは一般に言われる、「両親が子どもに託したがる将来の願い」であり、
そこには両親のフィルターから見た子どもでしかなく、
自分の性格や傾向興味といったものは、反映されにくいものだった。
そういう両親の教訓や願いに、不全感や反発はあった。
話し合いや言い争うこともなく、ただ自分はそれを取り入れようとはしないだけだった。
自分は自分なりに将来の夢を持って叶えたいことや、
友人をたくさんつくって楽しく過ごしたいと、
希望や理想を多いに持った。
でも知らないうちに、自分は教訓を取り入れていた。
幾多の日々が過ぎ、現在思うこと。
両親の教訓は、まんざら反発することでもないなと思う。
希望や目標があるから、それに振り回されたり、自身を過度な精神状態に落としてしまう。
人は独りだということも、親子ですら両者の気持ちを理解しあえないのに、友人という他人ならなおさらだ。
仲良し気取りしても表面の付き合いなら愛想だけよくすればいい関係で、
結局は人という存在意義自体、自分は独りなんだと気づかされたから。
そして両親があれほどこだわった公務員職は、
昨今の役人や公務員関連の事件や不祥事を見れば、
言うまでもない思いになったことだろう。
ただ両親にとって、思惑の違いや予想外だったのは、その教訓が口先論ではなく自分が体験した、
あるいはしてしまったことにある。
そう生きてきた自分は、両親に必要以上何も言わない。
両親も自分に何かを言ったりはしない。
若年層の凶悪な事件を見て常々感じてしまうけど、
自分が受動攻撃で自分を打ちのめし、
怒りを自分に向けつつここまでやってきたのは、
奇跡に近いと思える。
もしこの奇跡がなければ、
自分は犯罪か極限の自傷に及んでいたはずだから。
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