その相手との関係性によって、
聴く側つまり自分への感情の反映が、
何かひとつの解答のように感じられることがある。
それは語る側の自分が、無意識にゲームを仕掛けたり、転移や非現実な投影がある限り、
「じゃあ、そうする」とか「これでいい」と決断したとき、
意識的にわかったつもりでも本当は半ば降伏的、
或いは責任転嫁的なニュアンスの感じでその感情の反映を受け、
その結末は、不快な感情や無意味なラケット感情に苛まれる。
語る側の心の揺れ動きに、聴く側と完全合致するのはあり得ないにせよ、
せめて聴いている側の感情の反映くらいは、
素直に受けたいものだ。
そうしたら、自分自身にもっと近づけそうなことなのに。


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