2009年07月06日


かなりん <カウンセラーかなりんの遊々随想>

今日は「半安息日」

 先週から引き込んだ風邪がどうも抜けきらずに、
身体の芯が何だかだるくて今一つはっきりしません。
こんな日はなにもしないで寝て暮らしたいと思うのですが、
なかなかそうもいきませんね。

 昨日の日経の文化欄に宇野邦一氏が「安息日には」
と題したエッセイを寄せていましたが、ユダヤ教の安息日
というのは「労働しない。機械に触れない。お金を手に
持たない。車に乗らない。電話に出ないし、かけることも
ない。料理もしない。」と徹底しているのだそうです。

 現代の日本に暮らす私たちにはとてもできないような
ことばかりですが、「休日もコンピューターから離れられない
自分に、こういう安息日を課してみようかと思うことがある。」
と宇野氏は書いています。

 それはそれで結構大変で却ってストレスになったり
するのかもしれませんが、ひと月に一日くらいはそういう日を
意識的に設定してみるのもありかもしれませんね。
「今日は私の安息日!」と宣言して、絶対に何もしない。
そうすることで、時間に追われる普段とは、別の景色が
立ち現れるような気もします。

 とはいえ、オフの日に風邪ひきのハッキリしない頭に
むち打って、こうしてブログなんぞを書いている私には、
とっても無理な相談かも。電話はかけなくてもかかって
くるし、宅配便は届くし、新聞代の集金もやってくる。
第一料理をしなけりゃ、空腹にも耐えられないよ〜。

 まあ、今日は短めのブログで手を打って、さっさと
ご飯を作って食べ、早めに寝ることにします。
「半安息日」というところかな。
  
 それにしても、ボーッとしている間に経ってしまう
時間の何と早いこと。宇野氏は「そういう時間の数値と
自分の心身が過ごした時間との間に断層ができている」
と言い、「そういう時間のからくりから離脱するには、
『安息日』が必要なのかもしれない」と述べています。

 本当に、うかうかしているとせっかくの「半安息日」さえ、
時間に追われて過ごすことになってしまいそうです。
知らず知らずのうちに人間がとらわれているものは
数多くあると思いますが、「時間」というのはそのなかの
最たるものなのかもしれませんね。

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2009年07月05日


A子 <OLA子のキャリアアップへの道>

会社でゲーム

風邪を引いた。
先週の火曜日から喉が痛くなり、次の日から急激
に体調が悪化。
でも7/3にプレゼンあるし、大事な打ち合わせ
もある。
準備することも山ほどある。
ということで、体調不良の中なんとか金曜日まで
乗り切った。

喉が痛くなった火曜日、久しぶりに会社でゲーム
をした。
相手は同僚の男の子。
ささいなことがきっかけで、相手が私に怒りを
向けてきた。
客観的に見れば、私に向けられるはずのない怒り。
「おかしい」と思いつつ、怒りを向けられたこと
が悔しくて、私も怒りをぶつけた。
これでゲーム成立。
残ったのは、後味の悪さだけ。
そこから体調が一気に悪化。

彼との関係は、いつも微妙だった。
他の人とは違う空気が流れる。
彼が、他の人に取る態度と、私に対してとる態度
が違うことが不満だった。
彼も、私のことは好きではないと思う。

そして昨日のカウンセリング
「それ転移だね」
と言われた。
それで一気に体の力が抜けた。
転移か。

私は彼の調子の良いところが嫌いだった。
人に対して、いつも調子の良いことを言う。
ヘラヘラヘラヘラしている。
それが父親を連想させた。
彼の調子のよい態度を見るとイライラした。
特に彼が私に対して何かしたわけではないのに。

カウンセリングでは、私が彼に転移をしているよう
に、彼も私に転移を起こしている可能性が高い、と
言われた。
確かに、火曜日に彼が私に怒りを向けたとき、様子
がおかしかった。
私ではなく別のだれかに、ぶつけているように感じた。

彼は何故、火曜日のゲームが起こったのか分かって
いない。
私は分かった。
だから、私が注意するしかない。
それでも原因がわからないより、ずっとマシ。
対策がわかると安心する。
今日は随分体調も良くなった。
TAとカウンセリングに感謝。





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2009年07月04日


moco <新米ママmocoの子育て日記>

幼児化

最近、激しく夫の幼児化がひどく疲れている。
本人は、気ずく事なくやっている。
気ずいたとしても、けして認めようとせずに逆ギレで
私や子供に文句を言うありさま。

いつまで、こんな生活が続くのだろう。
憂鬱になる。
でも、どんな結果になろうと、私は、夫の母親になるつもりはない。
わが子は愛おしいけど、イヤイヤでグズグズされるとヘトヘトになるのに
その上に他人の幼児をわけもわからず預かってしまったような状態です。


夫はなぜか、問題があっても、見て見ぬふりをする。
そうしていくうちに、溝はどんどん広がっていっているのに
たいしたことではないと思っている。


まぁ、相手の事をどうのこうの言っててもらちがあかないので
今後の事をじっくり考え行動にだしていこうと思う。
なんにしても、大人の対応を意識して、考えていこうと思う。
自分のパターンだとただのゲーム的な発想になってしまいそうなので
きちんと時間をとり、周りの人の意見も聞きながら
自分なりに自分が出来る解決の道を見つけていこうと思う。
では、また、来週!!


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2009年07月03日


ひろみん <臨床検査技師・ひろみんのラブ&ピース>

朝令暮改

「朝令暮改」・・何と読む?何の意味?・・と問う私。
「ちょうれいぼかい」・・朝出された命令が夕方には改められる意・・と、かなりん曰く。
「へ〜っ!知ってた?nekoちゃん?」・・と問う私。
「知っていました。」・・と答えるnekoちゃん。

ガ〜ン。とショック!何と、この私は知らなかった。
ビックリしている私の横で、かなりんがボソリと一言。
「中学受験に良く出る四文字熟語だよ。ひろみんて、よく、それで大学受かったよね!」
・・あ、そうか・・理系だから国語はいらないか・・と、かなりんのフォローで会話終了。

この会話は先週、CSNでの雑談において交わされた。
何か以前にも似た様な言葉を誰かに言われたようなぁ〜?。
そうそう、それは男Nの言葉だったようなぁ〜・・「ひろみんて文学小説には興味示
さないよね!」

先週末、風邪で体調を崩し、2、3日家でおとなしく寝ていた。
すると小さい頃の自分の記憶が甦ってきた。
私は小学低学年の頃、国語の時間に朗読させられるのが大嫌いだった。
今思えば、当たり前の事だったのだが・・私の育った家庭では反論の自由がなかった。
その結果、無力感と生き辛さで、無口になって行った。
そして、本の内容は理解しても、音読が苦手で赤面症(恥の一次不適応感情)に移行し
ていった・・親の(我欲)の重圧に耐えかねた。今でも音読は苦手!!!

その頃の母親は、ボーダーもどき?で気性が激しく音読の苦手な私を責め立てた。
毎朝、小学校登校前に音読の練習をさせられ、益々国語嫌いに拍車がかかった。
そして、中学入学当時から始まった反抗期から国語、社会を完全に勉強科目から外した。

当然、優等生から外れた。
でも国語と社会を勉強しない事は母親への些細な抵抗と成り、自己に引きこもる事で自我
を守った。高校時代は理系とは言え、文系の科目は最低限の点数は確保しなければならな
かった。スレスレに確保した。本当に馬鹿だった。勉強すれば良かった。
でも、そんな自分が少し誇らくも有った。

う〜ん。確かに四文字熟語は殆ど知らない。文学小説にも殆ど興味を示さなかった。
嫌、示したく無かった。かなりんのブログを読むと時々興味をそそられる。
へ〜。そういう視点で小説家や劇作家は本を書いたり読んだりしているのか〜!
深い洞察力のなせる技・・だが、まだ読みたくない自分がいる。

読む事で母親と自分の間に横たわるドロドロとした感情を直視したくない自分がいる。
100か0かの思考パターンは母親譲り。嫌だと思っているのに取り込んでしまった。
母親に似たボーダーもどきの人と接すると緊張が走る。無意識に身体が拒否する。
感情、思考より先に察知する。精巧なチェックマシーン

理知的で傲慢、権力を笠に着そうな人、葛藤の激しそうな人・・相手に対する自分の投影・・
そんな人を前にすると、底知れぬ恐怖(一次不適応感情)と抑圧の感情(二次感情)で私の中
子供は身動きできなくなる。

でも少しずつ「とらわれ」の感情を解きほぐし始めている。
もう少し、もう少しだ、と言いながら解放される日を願っている。

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2009年07月02日


ayako<ワーカーayakoのダンスコミュニケーション>

支えているもの

久しぶりにナンパされた。
見ず知らずの人と連絡先を交換するなんて、一体いつぶりだろう。

昔は出会いなんて日常にあふれていて
「犬も歩けば棒にあたる」
そんな感覚で過ごしていた。

私の面白い盟友はよくナンパをするが、昔からそのスタイルは変わっていない。
またやってるよ、と思う反面
今はちょっぴり羨ましい。

人には様々な出会いがあることがわかる。
私の可能性もまだまだ沢山あるのだ。

ひとつの出来事から考えさせられた。

ただひとつ残念なのが、
その声をかけてくれた彼は、全く私のタイプではないという事。
その点、世の中うまくは出来ていないと思う。


では、何で私は彼に連絡先を教えたのか?
その、何となく気持ちが向いたものの正体って何だろう?

彼と話している3分後に、友達が来るのを知っていたから
その友達を遊びに行くことでテンションが高かったから
週末で明日は休みだったから
天気が良かったから

些細なことっていうけれど、
それが自分の世界観を変えるんだろうなと痛感する。



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2009年07月01日


スイマー <実業男スイマーの世渡り流々>

絶望=苦悩−意味。

 今日、
仲良くさせて頂いている方と
食事する機会が持てました。

 その方(仮に“A氏”としましょう)は、
普段常に笑顔で、何に対しても前向き。
関わる人全てに笑顔を分け与えるような人です。

 そんなA氏の
笑顔の裏に隠れた、
言い換えれば
笑顔を見せ続ける「覚悟」のようなものを含んだ
人生を聞かせて頂きました。

 一人の人間が抱えている苦悩があり、
その苦悩の先に見出した一筋の光明があり、
その光明のおこぼれに預かって
心が温まったり救われる人がいたりして、
本当に人間関係というやつは不思議です。


 突然話が大仰になりますが、
人が何のために生きているかっていうと
時々訪れる「楽しみ」があるからだっていう
解釈を最近放り込まれた私。

 たちまち我々が
日常的に行っている仕事、家事、役目というものは
おおむね結果が出るまでの過程はつまらないものじゃないですか。
その結果が明るいものだからこそ
そこに向かう道程を乗り越えられる、ってな感じでしょうか。
これって、
タイトルの公式に当てはまりませんか?

 実際問題として、
先にゴールが見えない(想像できない、の方が的確かな!?)物事に
誰が着手しますか?って話ですね。

 「死に至る病」なんて誰かが言ってましたが、
これは「=絶望」。
すなわち、「苦悩−意味=死」ということに繋がりますよね。
ここで「何で生きているの?=生きる意味への問い」ってことに派生させると
「楽しみを感じない人生=死」ってことになっちゃう。
無論、この場合は
生物的な「死」でなくとも、
社会的な「死」ということも有り得るでしょう。


 ・・・・・・。
あれれ??
意味=楽しみ的に持っていきたかったのに、
何だか重苦しい方に向かってしまった。


 楽しみの為に生きるという解釈が
しっくりきたのは、
自分なりの人生の楽しみ方を
自身が分かってきたからかもしれない、
そんな感じだけ置いて
今日のところは
この乱文を閉めさせていただきます。

 何となく
収拾がつかない感じに
なってきたので(涙)


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